「アナスタシア」グレブ所見

 

私が出会ったグレブは3人。

・芹香斗亜さん

堂珍嘉邦さん

・海宝直人さん (見た順)

 

それぞれアプローチが全く違って

奥深く、三者三様心を掴まれました。

 

三人見終わった直後の感想は、以下ポスト。

ちょっとブログでは語ってみようと思います。

 

 

 

●芹香グレブ「内省と冷酷」

 

すごく内省的なんですよね。

特にDSの「The Neva Flows」で感じました。

ぽつりぽつりと歌う。自分に歌う。

でも、自分に対して感情を荒げることを

良しとしていない、理性的な

事実確認のための感情の発露。

 

父親の話は、一将校として必要であればする。

効果的なタイミングで、効果的な言葉で

人々を煽るように、自分を煽るように。

それが時に人の目には「冷酷」と映る……

 

 

●堂珍グレブ「放出と愛情」

 

最近になって堂珍さんが「純朴」

という言葉を使っていたのを知りました。

それが正解な気がする、普通の優しい青年。

愛情も知っている。与えられたいし与えたい。

 

父親の話は、自分からしていた気がします。

若い頃から当たり前のように。

それが自分の根幹にいるという自覚もなく。

アーニャという少女に実際に出会ったことで

それが自分のアイデンティティだと気が付き、

喪失して揺さぶられたんじゃないでしょうか。

 

 

●海宝グレブ「責任感と自滅」

 

教育を真面目に受けたような気がします。

「ペテルブルク」から「レニングラード」に

変われば、きっと社会は変わると信じている。

 

でも、現実はそう簡単には行かないもので

(俺のペテルブルクVS我々のレニングラード

父親の息子であることと

軍人であることに縋りながら、

なんとか「父親の息子」「軍人」の二つの

責任を果たさなければならないと思っている。

 

でもその反面、自分の小ささを自覚していて

縋り付けない小さな自分を責めながら

小さな自分が縋り付ける相手はいなくて……

最後の引き金は自分に向かいそうな印象。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

海宝さんのポストの写真で、

演出としても意図を持って

グレブとディミトリは鏡写しなのだと

気が付きました(遅い!)。

 

激動の時代を

軽やかに飛び越えていったディミトリと

重い苦しみを飲み込んだグレブを

分けたものは、やはりアナスタシアの存在と

出会い方の違いなのでしょう。

 

もしも、ほんの少し時代が違えば

ユーモアの塊グレブが

アーニャと楽しいお茶の時間を過ごせた

世界線があったのかもしれません。