許します。……ありがとう

2022年10月8日(土)夜

「凍える FROZEN」

PARCO劇場

 

 

保育園時代の思い出が蘇ってきました。

 

ー私は男子に何か嫌なことをされて、

先生が「Sakunoちゃんに

ごめんなさいは?」と諭して、

男子が「ごめんなさい」って私に言って、

私は「いいよ」って答えた。

【私は、許せてなかったのに。】

 

きっと「ごめんね」と「いいよ」は

セットなんですよね。

 

一種の様式美と言いますか、

「あたりまえ!」と言いますか。

 

この作品の中で

ナンシーが「許します」と言い

ラルフは「ありがとう」と答えた場面が

1番印象に残っています。

 

これも様式美というか……

ラルフが言いたかったのは

「ありがとう」ではなかったような気がして。

 

「許す」というのは所詮

「許す」と言った側の自己満足に

過ぎないのではないかと思うんです。

 

「許す」っていうのは気持ち良いものですし。

ナンシーは許しの後、生き生きします。

 

アニータは「症状」としてラルフを

「許してあげてる」とも考えられるわけです。

 

「許す」というのは

自分が上位に立っている自覚がないと

できないのかもしれません。

 

上位に立たず、対等に向かい合うのは、

疲れる……

 

自分を自分で許そうとした時、

そこには上位も下位もなく。

 

「自分」というのは過去から作られているので

その行為だけでなく、自分全て・過去全てを

許さなければなりません。

(ラルフの場合は親も)

 

 

そして自分を許したところで、

快楽は待っていない。

それにはとてつもないエネルギーを使うから。

 

「逃げる」ということで

自分への許しを乞うのかもしれません。

自分を許す痛みから逃れた場所へ。

 

 

 

難しい作品ですね。

誰に共感したら良いかも分からず

誰にも共感もできませんでした。

 

だから、「許し」について少しだけ所感を。

取り止めもない観劇記録として……

 

(ロビーにあった舞台セット模型。

 十字架のようなセットが印象的)

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