地震と劇場

あけましておめでとうございます。

 

2024年の初投稿がこれで良いのか

少し悩んだんですが

ざわつく夜に少しだけお喋りを……

 

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オーブで震度2か3を経験したことがあります。

 

行ったことがある方なら

予想できるかと思いますが

実際の震度以上に揺れました。

 

少しずつ波のように広がっていく

客席のざわめき。

「揺れてるよね?」「やばくない?」

1人観劇の私は周りを見渡すしかできません。

 

少し過呼吸の傾向があるので、1人静かに

心臓がバックバクして汗も吹き出してきて。

その中で私がどうしたかというと……

 

「普通」に役を生きている舞台に縋ったんです

 

客席がざわついていても

舞台は 「Show Must Go On」

 

実際は舞台上もめちゃくちゃ揺れてたはず。

(二階建のセットが軋んでた記憶はある)

でも「舞台が止まってないなら大丈夫」と

思ってしまった。安心を求めてしまった。

 

私の席の近くには、ざわつく人たちに

「舞台続いてるでしょ!静かに!」って

言っているお客さんもいました。

 

演者さんもアドレナリンが出てしまうのか

いつも以上に意識的に、やや大袈裟に

「普通」を演じていたんじゃないかなと

今思い返すと感じる部分があります。

 

結局、安全点検もなく

スタッフさんが出てくることもなく

舞台は続き、終演しました。

 

でも、これは震度が小さかったから。

あくまでも結果論に過ぎないはずです。

 

劇場というのは正常性バイアス

働きやすい環境なのだと思います。

 

座席・劇場という精神的に縛られた世界

現実とは離れた舞台の世界

何千人という人たちと創る集団心理 etc…

 

もしも誰かが「逃げた方が良い!」

って大きな声で叫んで逃げ出したら?

入り口で群集雪崩もありえるかもしれません。

 

それもまた集団心理です。

私が経験した「静観」とは反対の。

 

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とりとめのない、結論のない

文章を新年から失礼いたしました。

 

皆様が安心して眠れますように。

私も書き出したことで

少し心が軽くなりました。

 

おやすみなさい。

 

 

「アナスタシア」グレブ所見

 

私が出会ったグレブは3人。

・芹香斗亜さん

堂珍嘉邦さん

・海宝直人さん (見た順)

 

それぞれアプローチが全く違って

奥深く、三者三様心を掴まれました。

 

三人見終わった直後の感想は、以下ポスト。

ちょっとブログでは語ってみようと思います。

 

 

 

●芹香グレブ「内省と冷酷」

 

すごく内省的なんですよね。

特にDSの「The Neva Flows」で感じました。

ぽつりぽつりと歌う。自分に歌う。

でも、自分に対して感情を荒げることを

良しとしていない、理性的な

事実確認のための感情の発露。

 

父親の話は、一将校として必要であればする。

効果的なタイミングで、効果的な言葉で

人々を煽るように、自分を煽るように。

それが時に人の目には「冷酷」と映る……

 

 

●堂珍グレブ「放出と愛情」

 

最近になって堂珍さんが「純朴」

という言葉を使っていたのを知りました。

それが正解な気がする、普通の優しい青年。

愛情も知っている。与えられたいし与えたい。

 

父親の話は、自分からしていた気がします。

若い頃から当たり前のように。

それが自分の根幹にいるという自覚もなく。

アーニャという少女に実際に出会ったことで

それが自分のアイデンティティだと気が付き、

喪失して揺さぶられたんじゃないでしょうか。

 

 

●海宝グレブ「責任感と自滅」

 

教育を真面目に受けたような気がします。

「ペテルブルク」から「レニングラード」に

変われば、きっと社会は変わると信じている。

 

でも、現実はそう簡単には行かないもので

(俺のペテルブルクVS我々のレニングラード

父親の息子であることと

軍人であることに縋りながら、

なんとか「父親の息子」「軍人」の二つの

責任を果たさなければならないと思っている。

 

でもその反面、自分の小ささを自覚していて

縋り付けない小さな自分を責めながら

小さな自分が縋り付ける相手はいなくて……

最後の引き金は自分に向かいそうな印象。

 

 

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海宝さんのポストの写真で、

演出としても意図を持って

グレブとディミトリは鏡写しなのだと

気が付きました(遅い!)。

 

激動の時代を

軽やかに飛び越えていったディミトリと

重い苦しみを飲み込んだグレブを

分けたものは、やはりアナスタシアの存在と

出会い方の違いなのでしょう。

 

もしも、ほんの少し時代が違えば

ユーモアの塊グレブが

アーニャと楽しいお茶の時間を過ごせた

世界線があったのかもしれません。

私とスーツ。男役さんに憧れて。

毎日スーツを着ています。

オフィスカジュアルではなくスーツ。

スカートではなくパンツ。

 

私服ではスカートばっかりだけど、

仕事はパンツスーツと決めています。

 

動きやすさはもちろんですが、

なによりポケットがある!(重要)

社用携帯をポケットに放り投げてます笑

 

メンズのビジネスリュックを背負って

ペタンコのパンプスを履いて

名の知れた会社じゃないけど

社章を胸に光らせて歩いてます。

 

男社会の業界で法人営業をやっているので、

武装だったりもするのかもしれません。

 

最近、スーツが似合ってきました。

昔は「着られて」る感満載だったのに、

今はちゃんと「着て」います。

 

でも、今日は

グレートギャツビーの配信を見た後だからか

鏡に映る自分を見て、

「あんまりカッコ良くないなぁ」

と思いました。

 

平均身長に満たない

スタイル良くない私を

宝塚の男役さんと比較するなんて【無謀】笑

烏滸がましいったらありゃしない!!

 

でも、秋の風が気持ち良いこの季節に

帰り道、信号を待ちながら

男役さんみたいに気取って意識して

ポケットに手を入れてみる。

 

そんな憧れからの行動は

滑稽だけど、ほんの少し自分を満たせる行為。

 

いやいや!でも、気取ってる時点で

スーツ道からは外れてるのかもしれない。

 

スーツを着て、スッと立って、

背中で魅せる。

 

男役10年の方はよく言いますね。

 

私が社会人歴10年を迎えたら、

スーツを着て、スッと立って

背中で後輩を魅せることができる人に

なったりしているんでしょうか。

 

社会人研1。

まだまだ西も東もわからぬ若輩者。

芸(仕事)の道は果てしない……

 

(「ネイビーのスーツを着て

 良い人そうに登場する役は

 大体最後裏切る」という

宝塚あるあるがありますが、

私、ネイビーのスーツしか着てません😏)

許します。……ありがとう

2022年10月8日(土)夜

「凍える FROZEN」

PARCO劇場

 

 

保育園時代の思い出が蘇ってきました。

 

ー私は男子に何か嫌なことをされて、

先生が「Sakunoちゃんに

ごめんなさいは?」と諭して、

男子が「ごめんなさい」って私に言って、

私は「いいよ」って答えた。

【私は、許せてなかったのに。】

 

きっと「ごめんね」と「いいよ」は

セットなんですよね。

 

一種の様式美と言いますか、

「あたりまえ!」と言いますか。

 

この作品の中で

ナンシーが「許します」と言い

ラルフは「ありがとう」と答えた場面が

1番印象に残っています。

 

これも様式美というか……

ラルフが言いたかったのは

「ありがとう」ではなかったような気がして。

 

「許す」というのは所詮

「許す」と言った側の自己満足に

過ぎないのではないかと思うんです。

 

「許す」っていうのは気持ち良いものですし。

ナンシーは許しの後、生き生きします。

 

アニータは「症状」としてラルフを

「許してあげてる」とも考えられるわけです。

 

「許す」というのは

自分が上位に立っている自覚がないと

できないのかもしれません。

 

上位に立たず、対等に向かい合うのは、

疲れる……

 

自分を自分で許そうとした時、

そこには上位も下位もなく。

 

「自分」というのは過去から作られているので

その行為だけでなく、自分全て・過去全てを

許さなければなりません。

(ラルフの場合は親も)

 

 

そして自分を許したところで、

快楽は待っていない。

それにはとてつもないエネルギーを使うから。

 

「逃げる」ということで

自分への許しを乞うのかもしれません。

自分を許す痛みから逃れた場所へ。

 

 

 

難しい作品ですね。

誰に共感したら良いかも分からず

誰にも共感もできませんでした。

 

だから、「許し」について少しだけ所感を。

取り止めもない観劇記録として……

 

(ロビーにあった舞台セット模型。

 十字架のようなセットが印象的)

f:id:Sakuno:20221010230932j:image

青春を取り返せー人生にはショータイムが必要だー

2022年7月3日(日)昼

THE BOY FROM OZ

東急シアターオーブ

 

 

社会人になって3ヶ月が経ちました。

大阪へ単身渡り、

慣れない関西弁に揉まれながらの研修生活。

大学時代を過ごした東京に配属が決まり、

もみくちゃにただひたすらに働く日々。

既にいろいろありました笑

 

実は、卒業式直前に

大泣きしたことがありました。

その内容は「青春が私にはなかった」。

 

決して陽キャではない高校時代。

自分勝手に地元を飛び出したからと、

必死に真面目に生きた大学1・2年。

 

そして、コロナ禍を迎えた大学3・4年。

友人が少ないのも、

恋愛が思うようにできなかったのも、

遊びの経験が皆無なのも、

就活で31社落ちたのも、

みんなみんなコロナのせいにしました。

「コロナのせいで青春がなかった」と。

 

正直、今でもコロナのせいだと思ってます笑

 

でも、私は元々遊び歩く人間ではないし、

友達が多い方ではないし、

恋愛にも積極的ではない。

 

と考えればコロナがなくても、

私には青春はなかったのかもしれません。

そもそも、友人なんて過去の蓄積ですからね笑

 

そう考えて、宥めて、落ち着かせて、

社会人になりました。

 

 

でも、社会人になって3ヶ月。

意外と今、青春してるのかもしれません。

 

研修中の高校の教室みたいな同期との

会議室監禁生活。

「こっそりやれよ」と

人事に言われた同期飲み。

22時近くまで続いたファミレスでのお喋り。

合間を見て行った、大阪観光。

東京配属になってからの、

年次の近い先輩達とのランチ。

久々の片思い。

(彼は関西の女の子にしか

興味が無さそうで、心折れかけてますが……)

 

社会人になってから頑張って溝を埋めて。

だって、私は5月に23歳になったばかり。

「学生じゃなくても若いので」

を心の合言葉にして。

 

でも、それでも。

やっぱり大学時代にやり残したことが、

いっぱいいっぱいあって。

大学時代にやっておきたかったことが

抱えきれないほど沢山あって。

 

 

観劇もその一つで。

特にチケットを持っていたのに中止になった

THE BOY FROM OZ」と「Forever Plaid

この2つには、何か青春が詰まっているような

気がしていました。

不思議な話です。

だって、それは経験していないものなんです。

なのに、青春が詰まっているんですよ。

これがつまり「経験はしてなくても、

存在はしてた」ってことですね。

 

だから、リベンジ公演が決まった時には

飛び上がるほど嬉しかった。

でも、今回は配属決定前後の厳しい時期で。

環境っていうのは数年でコロッと

変わるもんなんですね。

 

この間にV6は解散してしまいました。

2020年の私は自由な大学3年生だったけど、

2022年の私は何処に配属されるかも

わからない土日しか休みのない社会人

になってしまっていました。

 

この時も「コロナのせいだ」と泣きました。

ご本人もファンも待望のリベンジ公演。

でも、私としては悔しくて悔しくて。

 

 

そして、また東京に戻ってくることとなり、

やっといろいろ落ち着いた時には

チケットを取る手立てがほぼ無くなっていた

THE BOY FROM OZ」と「Forever Plaid

 

「これが社会人というものだ」と

「こればかりは取り返せない青春なのだ」と

そう思っていました。

 

そんな中、本日

THE BOY FROM OZ」に

ご縁あって行くことができました。

 

青春の尻尾を握った気分です。

とにかく楽しかった。

 

私の人生、正直キラキラしてません。

でも、舞台はいつだってキラキラしてるから。

観ている私の人生も

その瞬間は輝くんだと思います。

 

だから、きっとこれからも

THE BOY FROM OZ」のコピーのように

「人生にはショータイムが必要だ」

と唱えながら、安月給の中でも

私は観劇に行くんだと思います。

 

舞台の坂本くんを見ていると、

努力の大切さと、

いつまでも好きなことをしていれば

若々しくいられるのだと気付かされます。

可能性は無限なのだと思います。

 

初めましてだった紫吹淳さん。

群馬県出身。同郷です。

群馬の小さな町から宝塚のトップスター 。

そしてステキな女優さん。

私も同じく群馬の小さな町出身。

夢を持てるような気がします。

 

「FOREVER YOUTH 」

そんな言葉が浮かびます。

 

この状況下で、東京千秋楽を迎えた

カンパニーの皆様と、

チケットをお譲りいただいた方に

深く御礼申し上げます。

ありがとうございました。

V6の解散に寄せて(やっと)

 

2021年3月12日 V6 解散発表

その時、偶然にも、私はV6の某ロケ地にいた。

書いちゃうと、確実に身バレするので控えるけど、

私にとって、あまりにも身近な場所。

元々お気に入りの場所だったので、そこに6人がいる画を見た時は思わず息を呑んだ。

ロケ地となる前も後も、自然と足が向いてしまう場所だった。

そんな場所で、解散発表を知るなんて、あまりにも出来すぎてる。

でも、何故かその時は泣かなかった。

 

その日の夜、私は「とりあえず……」枠の地元企業の説明会に行くために、

実家に帰らなくてはならなかった。

長い長い在来線の旅。あまり現実味がわかなくて

ニュースサイトを一通り見て、Twitterを見て、寝た。

私のツイートはこんな。嘆くより愛を叫んでる。どんな心境だったんだろ。

 

 

解散発表後、初めて泣いたのは25周年ライブの円盤を見た時。

avex.jp

無観客開催となった25周年記念ライブ、私はもちろんライブ配信で見ていた。

Twitterでは、チケット買ったよ報告をしてる。

このアカウントは、あくまでも観劇垢というスタンスだったのに、

意外と、要所要所でV6のことはツイートしてたらしい。

「WA」も「愛なんだ」もセトリにない。

当時、25周年とテレビで紹介されるたびに、これらの名曲がかかることに対して

「最近はヒットを飛ばしてないみたいじゃないかよぉ。

 最近のV6って超カッコいいんだぜぇ。」と、ぼやいていたので、

「だよね!やっぱりV6は攻めてる!!今が一番カッコいい!!」

って、大興奮していたのを覚えている。

 

このライブ、アンコールでファンからのメッセージ企画があった。

動画を送ることで25周年を祝い、これからも~と伝える。

それを受けたメンバーの顔が、解散発表前後で違って見えた。

以前は、コロナのせいで直接会えない悲しみと、25周年の感慨に浸る顔と思っていた。

でも色々な話を聞く限り、多分この時、解散は確定事項だったのだと思う。

当時、所謂自担である長野博さんが泣きそうなのに動揺した。

泣かない、つらいとか言わない、長野くんが。目を潤めている。

先に挙げた感情も勿論あっただろうけれど、

解散を前にファンが語る「これから」への期待だったり、

「ちょうど1年後の今日がラスト」だったり、きっと色々考えてたんじゃないかなと。

 

 

その後、Twitterでも、私生活でもしばらくV6の話をしない期に入った。

現実逃避なのか。なんなのか。

解散発表から、このツイートまで、約3.5ヶ月もツイートしてなかった。

こういう風に、形は変わろうとずっと続けてくれればいいのにと思ってた。

 

なんというか、V6は「最後」という顔を全然していなかったように思う。

ライブ応募の時も、落ちたときも、どこか楽観的なのはきっとそのせい。

解散に向けて、少しずつ増えていく露出も楽しく享受していた。

5GLOVEとか、ピノとか、アルバムとか、インスタとか。

大人プロフィール会議で、にこやかに

「キャッチコピーは、ほとんど病気でいいんじゃない?」

とか言う、長野博さんになんとも言えない感情を抱いたりしてた笑

 

 

そんな私も、10月に入り、解散まで1ヶ月となると、少しずつ変わっていく。

トニセンのFCに入ることをためらったり、配信チケットを買わなかったり。

小さな謎の抵抗をし始める。

V6の新たな供給に喜びながらも、冷静になると全てがカウントダウンに感じる。

そんな時期にYouTubeで公開された「V6大辞典」だけは本当に楽しく見れた。

www.youtube.com

 

 

そして迎えた、2021年10月11日。

何があったっけ、その日?というような日付だけど、私には大事件が起こった。

復活当選。それもオーラス。

ライブの…でもあるし、V6の…でもある。

とにかく慌てながら、それでも「今日中に入金しよう!」と部屋を飛び出した。

入金番号をATMに打って、それが受理されたとき

「うわ!現実なんだ!!」という馬鹿な感想を持った。

帰って、ふと気づく。「もしや、終電ないのでは?」

復活当選組の、ホテル探しは難航した。

なんとか、会場近くのホテルを取って、そこでまた気づく。

ペンライトも団扇も持ってない……グッズは駆け込みで買おうと思ってた。

コロナで会場物販がない。オンライン通販を開くと、お届け時期はライブ後。

翌日、ポップアップショップのキャンセル待ちを張って、事なきを得た。

東京在住であることに、ここまで感謝した日はないかもしれない。

 

 

復活当選を知ってからの日々

怒濤の音楽番組ラッシュ。その1つ1つを見るたびに、

「私は、V6最後のパフォーマンスを生で見るのか」とバクバクしていた。

Vーlandで、何のあてもなくふわふわ浮かんでクールダウンしたりもした。

自分に一体何が起こるのか考える日々で、この時期も不思議と泣かなかった。

覚悟を決めて、トニセンのFCにも入った。

 

 

2021年10月31日

荷造りをしていた時だった。

復活当選したよ!のツイートに検索で出会った人からDMが来た。

そこには、V6への熱い思いと共に

「20~ ご提示ください」と書かれていた。

丁重にお断りしたけれど、すごく色々な事を考えさせられた。

私は、それほどまでのプラチナチケットを持っているのだと思うと怖かった。

20の数字が何を示すのか。暗黙の了解で「万円」だろう。内定先の月給と大差ない。

その金額を出しても良いと思う人がいる。

たくさんのファンが、配信で見届けるステージ。

私は、その代表(というのも烏滸がましいけれど)の1人として会場を埋めるのだ。

と思い、とてつもない責任感を抱えながら、ベッドに入った。

 

 

2021年11月1日

コンタクトレンズへ感謝してるの、ちょっと面白いけど本心。

ここまで視力悪いと、眼鏡・コンタクトがなかったら日常生活送れないので。

 

幕張に行く道中、海を見ながら、出航か~(急に雪組SV)と思ってた。

海に夢を見て、思いを乗せてしまうのは、海無し県出身だからですかね。

ちなみに、童謡♪うみ の作詞者は同郷です。

あの歌、海無し県民が作ってるんですよ……

 

このツイートは、入場列に並んでるとき。バックバクだった。

ちなみに天気は雨。V6ラストアルバムのメイン曲。ラストライブの1曲目。

youtu.be

V6は表現者集団であって、そんなグループだから好きになった。

このMVはラストアルバムにして新境地。それは分かってる。

でも、実はピンときてなくて。もっと明るい曲が良かったなと思ってた。

それが、入場列が屋根のないところになってしまって、

雨に打たれながら待っている時間、やっと心の中に落とし込めた気がする。

会場は暖かった。暖かいなと思った。雰囲気も、物理的にも。雨で冷えていたので笑

 

座席はスタンド。前から数列目。バクステの真横。思ったより近くてひゃーってなる。

コロナ禍のライブは歓声もなく、静かに始まった。

開演前から、ちょっとウルウルしてたのも、ライブがはじまれば熱くなって忘れて。

でも、MFTPが流れた時、急に「この曲を歌うのは最後なんだ」と改めて気づいて。

目が潤みはじめたところで、例の岡田くん屈まない事件が起こって泣かなかった笑

 

なんかもう、何から語って良いのか分からないのだけど、

とにかく「グッドラックベイビー」「素敵な夜」はヤバかった。

振り返ってみると何故か「95groove」よりも印象に残ってるかもしれない。

いや、「95groove」は別格でマスクびしょびしょになるくらい泣いてたんですが。

笑顔だな~楽しそうだな~って、純粋にそう思えて、それがただただ嬉しかった。

 

ライブ後半からの話は、ブログになんて書くか悩みすぎて、こっちより先に

ジャニーズ楽曲大賞に送ってしまった。長文で主催者様ごめんなさい。

改めて考えても、この文章を超えるものは書けない。

WANDERER配信までの隙間時間に書いたメモがベースになってる。

以下、私が送ったコメント↓

まさかの復活当選で11月1日の幕張メッセにいました。入場時間が一番早いグループで、まだあまり人の少ない会場に入った時、関係者の方だと思いますがスーツのおじさま方がマスク越しでも分かるほどの笑顔で迎えてくださった事が、強く印象に残っています。コロナで発声禁止の中、すすり泣きの声があちこちから聞こえてきました。メンバーにも聞こえていたんじゃないかと思うくらい、一人一人は小さな音でも合わさると大きな音でした。最後「俺たちが!」と呼びかけられた時、誰も声を発して「V6」とは言いませんでしたが、ハッと息を呑む音が聞こえました。発声禁止の中で発されるV6とファンの間に流れる息づかいが印象的なラストライブでした。「もしもコロナがなくて、発声可能なライブだったらどうなっていたのかな」と、大泣きして酸欠の頭で、終演後の15分にもわたる拍手で真っ赤に腫れた手を擦りながら、規制退場待ちの間に考えました。思いのままに「解散しないで」と叫んでいたでしょうか。それとも、聞き分けの良いファンとして感謝を叫んでいたでしょうか。自分自身ですらあの日の本心は分からないまま。発声禁止だったことによって抑圧された感情。まだ今は言葉にできないもののような気がします。でも、それがすごく愛しいです。一生忘れません。大好きだよV6。

 

会場を出た後

開場時に降っていた雨は止んでいた。

 

 

WANDERER終了後

当日と再配信2回の合計3回見たけど、何度見ても不思議な映像だと思う。

攻めてて、ふわっとしてる。夢みたいな感じ。

解散ライブが終わった後に新曲「鏡」を披露という、前代未聞のプレゼント付き。

でも、やっぱり泣いて、見終わったときにスマホから顔を上げたら、

ビジネスホテルだから机の前には鏡があって、ぐしゃぐしゃな自分が写ってた。

 

なんか、V6と私、振り返ってみると「出来すぎだろ~」という案件が多い。

良い意味でも悪い意味でも。ちなみに悪い方は、

誕生日観劇、最前列センブロ(!)のフォエプラが中止になったことです。

(2022年公演は新卒なのと、その他諸々考えて「行けない」という判断)

きっと11月1日のチケットは、そのチケットの生まれ変わり。

 

 

 

2021年11月2日

さっきのツイートで静かに11月1日を終えたと思ったら…

健ラヂです。ベッドに沈んでたのに、文字通り飛び起きた。

やっぱり不思議なグループですね。

「今日からも(V6解散後も)生きて行かなきゃならない」

記憶がもう若干怪しいんですが、井ノ原くんの健ラヂでの言葉。

当時、卒論提出約1ヶ月前。でも、あまりにもラストライブに揺さぶられてしまって

「私、ちょっと卒論とか書けないかも」(性格的にそんな選択肢はないんですが)

とか少し思っていた矢先の言葉で、これに救われて前に進めた気がする。

「俺たち解散したことないから何言っていいか分からない!」っていう井ノ原くんの言葉を借りて

「私、卒論書いたことないから何書いていいか分からない!」とか言っていたのは、また別のお話……笑

 

 

2021年12月10日

アマプラで、さいたまスーパーアリーナ公演が公開された。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B09MZT5DYY/ref=atv_dp_share_cu_r

見たら記憶が上乗せされてしまうんじゃないかとも懸念したけど、

やっぱり見ずにはいられなくて。見ていっぱい泣いた。繰り返し見ても泣く。

2021年11月1日以降、V6に関して涙腺が弱すぎる笑

 

 

2022年1月25日

YouTubeで、オーラス幕張のダイジェストが公開された。

youtu.be

11月1日に会場にいたので、もちろん配信は見て居らず。

客観的に評価できてないというか、ぜーんぶ夢だったんじゃないかと思って、

でも答え合わせもできず、雲を掴むようだったのがクリアになった。

全て現実だったのだと。でも、この実感は悲観的なものではないように思う。

この歌のように。

youtu.be

「はいからさんが通る」を観劇した方に、太宰治「女生徒」のススメ

 

きっと、宝塚版「はいからさんが通る

観劇前の予習として

皆さん原作の漫画「はいからさんが通る」は 履修してると思うんです。


じゃあ次は「女学生」について

履修してみませんか?という、お誘いです。

 

 

今回の商品は

太宰治の「女生徒」】

お値段なんと0円!!

 

 

太宰は没後111年。

ありがたいことに(?)

著作権が切れているので、

青空文庫無料)に作品が出ています。

 

以下、リンク↓↓

 

 

www.aozora.gr.jp

 

 

ただ、ルビが付くと字が小さくなるところが

難点でちょっと読みにくいので、

文庫本を推奨したいな……。

 

文庫も、お値段数百円!!

太宰一冊持ってるだけで「分かってる人」

っぽいから本棚のファッションアイテムとして

持っとくのもありだと思うんです笑

 

これは「女性独白体小説」

っていうジャンルになります。

 

つまり、太宰が女学生のふりして書いてる。

キモいと言われれば、それまでなんだけど、

太宰って女心を書くの上手いんだよね……

不思議。

 

この小説は、女学生からの

ファンレターが元ネタになっている

ということを抜きにしても

傑作ではないでしょうか?


太宰は「人間失格」のイメージが

独り歩きしているせいか、

良いイメージがないわ。って方が

沢山いらっしゃると思います。

 

それ、勿体ないですよ!

思い出してみてください。

教科書に載ってた「富嶽百景」。

あれ、そんなに重くなかったでしょう!!

 

「富士には月見草がよく似合う」

覚えてませんか?

実は、太宰色々残してるんです。

 


「女生徒」で私が好きな一文は

【「自分は、ポオズをつくりすぎて、ポオズに引きずられている嘘つきの化けものだ」なんて言って、これがまた、一つのポオズなのだから、動きがとれない。】


ここ読んだとき、なんか私ショックを受けて。

生きていく上での色々な葛藤を言語化したら、

まさにこれだなと思い、

言い当てられた感じがしたんです。

 


自由恋愛をする!!というポオズを貫き、

忍さんは紅緒の婚約者だった

という悲しみは隠し、

自立した女性のポオズをとるために

蘭丸と杯を交わす……

 

あの日の夜の環の心情も、

こんな感じだったんじゃないかなあなんて。

 

環はもっと強い女性かもしれないけれど。

満洲まで行っちゃうくらいですからね。

 

モダンガールズが、たとえポオズだとしても

その形に憧れてしまう。