FLYING SAPA ライブ配信

上田久美子先生の最新作。

制作会見では、

出演者に箝口令がしかれていた。

 

謎だけ残して、一時はコロナ休演で

フライングしかけたサパ。

 

梅田千秋楽おめでとうございます。

日生も駆け抜けられますように。

独特な日生劇場の世界観×FLYING SAPA

=素敵に決まってるじゃん!!!

 

私にとって先生の作品といえば「BADDY」。

宝塚史に残る問題作。

Twitterでは「BADDY」の話をすると、

いいねされやすいらしいですね。)

 

「BADDY」は改めて考えると、

楽しい歌とパステルな色彩の

オブラートに包まれているだけで、

結構怖い世界かもしれない。

秩序を乱しそうなものは♪

ダメッ!ダメッダメ!!と取り締まられる

ピースフルプラネット。

 

よく思い出してみると

グッディは銃を使っていて、

クールはそれに打たれて

怪我までしているのだ。

それなのに、グッディは

傷つけた自覚なんて持たずに頭を傾げる。

これは果たして「平和」な世界か?

なんだか怖くなってきた。

そう思うような作品だった。

 

「FLYING SAPA」は

「BADDY」の見方を変えてしまうほどの

威力を持っている。

 

先生は「BADDY」の爆発的好意的評価を、

どう思っていたんだろうと考えてしまう。

みんなが楽しめる

大好きな「BADDY」を喪失させ、

新しい「BADDY」を誕生させるのだ!!

ということなのか?

合ってますでしょうか?先生。

 

宝塚らしくないと言われる、この作品。

それ故に賛否両論を

巻き起こしているのだろうな。

(探すと意外と否の意見もある)

確かに歌わない。

決して明るい作品ではない。

ストレートプレイ的な重さ。暗い色彩。

すみれコード怪しい。etc……

挙げ出したらキリがなさそう。

 

でも、この作品を外部の舞台で見てみたいか?

と問われると「そうでもない」と

個人的には思う。

何故かって考えてみると、

男性が入ってしまうと生々しさが出るから。

FLYING SAPAの演出家・演者・客席の

共通点は「女性である。または、女性が多い」

ことだと思う。

 

「宝塚」というオブラートって絶対あるはず。

現実にいない作り込んだ男である「男役」は、

やっぱり非現実なんだと観劇後に強く感じた。

(娘役も同様に)

 

戦時中の女性たちが

どんな目にあってきた歴史があるのか。

(直接的な言葉使うと

ブログ止まっちゃうかもしれない)

 

もしかしたら、上田久美子先生じゃなくて

某I先生あたりの脚本だったら

批判の嵐だったかもとうっすら思うほどに、

繊細なお話。

 

それを嫌悪感を抱かせない演出と演技で、

真正面から観ることが出来ることこそが、

上田久美子作・演出

宝塚歌劇団宙組公演FLYING SAPAの醍醐味

なのかな。なんて考えたりしてる。

 

客席の男性方は、どう思ったんだろうな。

 

 

芹香さんは「金色の砂漠」の

ジャーに引き続き、自己犠牲的で

愛情深すぎるお役。

 

「ハンナのお花屋さん」の

アベルにも近いと思ってる。

 

優しすぎて自分を押し込み、葛藤する。

押しつけがましくない自己犠牲を演じるのが

凄く上手いなって思うし、素敵。

 

でも、それってお芝居に限らず

本当に難しいことだと思う。

どう足掻いたって人間、自分が大切だから

(それは悪いことじゃないし、

生存本能だから当然のこと。)

どうしたって「犠牲になった私」感

が出てしまうと思う。

 

でも、芹香さんのお役は

眉を潜めるに留めるの。何それ。

人間として完成されすぎてない?


客席とのパイプ役だったノア先生。

血の気の多いイエレナに

「やりすぎだ」みたいなことを言って

宥める場面があったような気がする

(なかったかもしれない笑)。

 

観客の私達も「やりすぎ」って思うけど、

当事者からしてみたら「やりすぎ」

ではないんだろうなとも思うわけで。

 

ノア先生は何を背負って、

どうに生きてきたんだろうね。

相当な闇か希望かがあると思う。

 

「ピカピカの正義」を退廃的な世界の中で

イエレナの隣、保っていられる精神の強さよ。


ノア先生って理想的な人だなー。

優しくて

(ちょっと、ミレナへの詰め寄り方に

危うさは感じるけど)

精神的に自立してて。

現代女性が求める男性像な気がする。

 

宝塚的な「邁進する男」

じゃなくて「支える男」だもん。

 

現実世界は、そんな感じのカップルの方が

上手くいってるよね。

 

リア恋枠ってやつかもしれないって、

ぼんやり思う。